23歳女

23歳女の思う事

セントオブウーマンとファイト!

映画セントオブウーマンで、主人公チャーリーが「(クソみたいな)同級生の罪を(クソみたいな)校長に打ち明けて良い大学に行く」か「(クソみたいな)同級生の罪をチクらず反抗したとみなされ退学になる」の選択を迫られる。結果的に彼は周りのクソみたいな人間とは比べものにもならない高潔な精神をもって、チクらなかった。私がこの立場に置かれたら「意味が分からないクソ&クソに人生潰されてたまるか」とチクってしまうのではないか。高潔な精神は持ち合わせていないから。そしてアルパチーノ演じる盲目の退役軍人(大佐)もこれまでそう出来なかったと語る。この映画は、1人ずば抜けて高潔な精神を持つ青年、それを潰そうとするクソ数人、青年に救われたダメ中年1人、そして「女性」から成る。基本的に物語は男で進む。それに香りを添えているのが女であり、節々素晴らしいシーンがあるけどそれは置いといて。この青年、中年、クソの並び。きっとこれはあれ!「ファイト!闘う君の歌を闘わない奴らが笑うだろう」この映画で闘う君はチャーリーで、それ以外は闘わない奴らだ。最後の最後、立ち上がった大佐は元々死のうとしていた訳で。その「闘わない奴ら」の中で大佐が魅せた点は「闘う君を決して笑わない」ことだ。笑わないだけでなく守った。私はその姿勢を絶対に忘れたくないし、この映画のクソたちのように腐りたくない。腐ったコミュニティを辞める決意をしたが、そこで諦められずもがく人間を私は笑いたくない。「闘う君」になれるならそれがいい。でも今それは難しいし、これからも難しいのかもしれない。ただ「闘わない奴らになっても、高潔な闘う君を笑う腐った奴らには絶対になりたくない」綺麗事は嫌いだが、美徳無しに生きていけない。